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○こちら特撮情報局 特撮ロケ地巡り |
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○ 第11回 『愛の戦士
レインボーマン』第8話ほかロケ地 東京都世田谷区「砧電気」 |
第11回 『愛の戦士 レインボーマン』第8話ほかロケ地 東京都世田谷区「砧電気」
特派員:奥虹
取材日:2008年3〜4月某日
今回は『レインボーマン』第8話「ひとりぼっちの戦い」ほかの撮影で使用された(国際放映撮影所前)「砧電気」を紹介する。同店は第8話、キャッツアイ入り“おでん・おめん屋”屋台が出される電気店として、またその他のエピソードでは謀略事件が起きた際に登場する“街頭テレビ”の店舗として、たびたび映像に登場している。
なお、砧電気の真向かいに位置し、同電気店とも縁深い「国際放映撮影所」ついては、Qちゃん様が管理される特撮ロケ地探求サイト「光跡」内、「撮影所(STUDIO)」に詳細な情報が画像入りで網羅されているので、ぜひご参照いただきたい(「光跡」管理人・Qちゃん様のご厚意によりリンク承認済み)。
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◯『愛の戦士
レインボーマン』第8話「ひとりぼっちの戦い」あらすじ |
闇夜で死ね死ね団員たちのナイフ攻撃をかわしたダッシュ7(太陽の化身)であったが、目つぶしのアイパッチ攻撃に負傷し敗走する。ダッシュ6(土の化身)の“疾風土煙花の術”で一旦土中に逃れたタケシ(演.水谷邦久氏)は、さらに堀田の経営するガソリンスタンドへと逃れる。タケシは堀田(演.黒木進氏
現.小野武彦氏)から目の手当を受けながら、死ね死ね団の存在を必死で訴えるが、「被害妄想だ」と一笑に付される。その頃、死ね死ね団員たちは“おめん屋”という名のおでん屋台を出し、サラリーマンたちにキャッツアイ入りの日本酒をふるまっていた。タケシの危惧をよそに、死ね死ね団の日本人総狂人化作戦は着々と進行していたのだ。腫れた瞼で帰宅したタケシを心配し叱咤する母・たみ(演.本山可久子氏)であったが、タケシは“日本の平和”が自分の肩にかかっていることを実感し、正義の戦いへの気持ちを新たにする。「一晩に62名もの自殺者」という新聞記事を読んだタケシは、“ファッションショップK”のマッチが手がかりだと直感、淑江(演.伊藤めぐみ氏)に協力を求めようと決意。その頃淑江は、どんぐり園内に侵入してきたキャッツアイ中毒の中年男性に、首を絞めつけられていた。駆けつけたタケシは咄嗟に背負い投げで男を叩きのめすが、男は猫目のように瞳を光らせて死んだ。タケシは男がキャッツアイ中毒によって死んだことを語るが、淑江は信じようとしない。“愛する人々のための戦い”が受け入れられない現実に苦悩するタケシに、降臨したダイバダッタ(演.井上昭文氏)の魂は「己の道を信じ、貫くのだ」と諭す。一方ダイアナ(演.山吹まゆみ氏)たちは“美容ドリンクプリティ試飲会”と称し、公園で女性たちにキャッツアイ入りドリンクを配り始めていた。偶然通りかかったタケシを発見したダイアナは、女性団員に尾行を命令。罠の仕掛けられたビル工事現場に誘導されたタケシの頭上に、いま多量の鉄骨が降り注ぐ…。
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◯砧電気 |
「砧電気」(砧3-5-12)は道路を隔て国際放映の真向かいに位置する、昭和42(1967)年開店の老舗電気店。『レインボーマン』第8話、死ね死ね団団員扮する“おでん・おめん屋”は砧電気店舗の前に屋台を出し、市井のサラリーマンにキャッツアイ(人間を狂人化させる薬物)入りの日本酒を盛り、狂死させている。また劇中、死ね死ね団による謀略事件が起きた際に登場する“街頭テレビ”は、砧電気の店舗に据えたものだった。
ご主人のお話では「国際放映さん勤務のお客様が多い関係で、うちの店舗が国際放映さんの番組のロケに使われることがしばしばあった」とのこと。「『レインボーマン』放送当時、主演の水谷(邦久)さんはうちの近くのアパートに住んでいた」との情報もいただいた。1970年代は現在ほど芸能人へのストーカー事件が深刻化していなかったせいか、当時のタレント名鑑には芸能人の自宅住所や電話番号が堂々と記載されていた。国会図書館所蔵のタレント名鑑から、当時の水谷氏の下宿住所が確認できたが、ご主人のご記憶の正確さが裏づけられた。
『レインボーマン』放送の昭和47(1972)年〜48(1973)年当時の商店街の店は位置は、「砧電気」を中心に(世田谷通り方面に向かって)「喫茶・イブ」「中華料理・春楽」「コーヒーたかの」、(祖師ケ谷大蔵駅方面に向かって)「喫茶・ボク(砧電気テナントの喫茶店)」「駐車場」「もうそう(カレー屋)」「世田谷砧南郵便局」と続き、その隣は野菜畑であったという。現在は東京メディアシティ内にある喫茶・飲食店や、世田谷通り沿いにある飲食店へと客足が動いたためか、国際放映撮影所正門沿いの喫茶・飲食店の店舗数は大幅に減少し、飲食店跡にはマンションなどが建設されている。
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←砧電気全景。左はテナントの設計事務所。『レインボーマン』撮影当時は、店先にはナショナルのプラ看板と、カラフルなテント地の日よけが設置されていた。店舗奥のご自宅スペースは、『レインボーマン』撮影当時の面影を色濃く遺している。砧電気に限らず、国際放映から小田急線祖師谷駅方面へ向かう道程にある商店には、1970年代の空気を遺すものが少なくない。
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→砧電気は道路を隔て国際放映の真向かいに位置するため、昔から国際放映関係のお客が多いという。
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←砧電気の左隣は、現在マンション(1階には米の自動販売機あり)、右隣は接骨医院。『レインボーマン』撮影当時、喫茶店だった“コーヒーたかの”は現在ピザ・チェーンの店舗になっている。国際放映から世田谷通り方面へ向かう道程にある商店はリフォームした店舗が多く、1970年代の空気を遺すものが極端に少ない。
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◯あとがき |
ロケ地探訪の際には、ときに心温かな出逢いがある。デジカメ交換電池の買い物がてら、お話をうかがうことが出来た砧電気さんの経営者ご夫妻もそうだ。機知に富んだお話ぶりで、『レインボーマン』撮影当時の商店街の様子をまるで昨日のことのように、ご披露くださった。さらには国際放映在職時代に『猿飛佐助-TheJumping
Monkey-』(主演・太川陽介 日本テレビ1980年)などの制作に関与された関係者もお店にいらっしゃり、貴重なお話をうかがう事ができた(これについては追ってレポートしたいと思う)。当サイトが大変お世話になってきた六鹿英雄監督(故人)、国際放映の押見順司氏・黒丸治夫氏についてもご存知で、しばし昔話に花が咲いた。心温かな出逢いに感謝しつつ、今後も真摯に特撮ロケ地探索に取り組みたいと思っている。
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