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○こちら特撮情報局 特撮ロケ地巡り
 
 第8回 『愛の戦士 レインボーマン』
第25話他ロケ地 東京都稲城市「百村山道」「ありがた山石造物群」他 その1


『愛の戦士 レインボーマン』
第25話ほかロケ地 東京都稲城市「百村山道」「ありがた山石造物群」ほか その1

『仮面ライダー』第36話ロケ地 東京都稲城市「妙覚寺」
『仮面ライダーストロンガー』第11・33話ロケ地ほか 同稲城市「ありがた山石造物群」
『愛の戦士 レインボーマン』第25・27話ほかロケ地 同稲城市「百村山道」、「南山崖山」
『仮面ライダーX』第2話ロケ地 同稲城市「向陽台・武蔵野南(貨物)線トンネル」

特派員:奥虹
取材日:2008年4月某日


 行楽シーズンの春に相応しく、今回は1970年代特撮番組ロケ地を結ぶハイキング・コースを紹介させていただこうと思う。コースは「京王相模原線よみうりランド駅前〜妙覚寺〜ありがた山石造物群〜百村山道〜南山崖山〜向陽台」。
 園内で様々な1970年代特撮番組のロケが行なわれ、また現在も特撮ヒーロー・ショーが催されている“よみうりランド”の最寄駅「京王相模原線よみうりランド駅前」。それに隣接する、室町時代末期に建立された「妙覚寺」。さらに妙覚寺に隣接し、一連の1970年代東映・円谷プロ作品の怪奇シーン撮影に重用された「ありがた山石造物群」。『レインボーマン』で“悪魔武装部隊・DAC”との戦闘シーンなどで多用された「百村山道」。“1970年代特撮番組ロケ地の聖地”とも換言できる、あまりに有名な「南山崖山」。そして『仮面ライダーX』エンディング映像でも印象的な武蔵野南(貨物)線トンネルのある「向陽台」へと抜ける、およそ6.5キロメートルの距離である。
 現在進行中の“南山東部土地区画整理事業”によって、ありがた山石造物群〜百村山道〜南山崖山周辺の景色は、今後大きく姿を変えることが確実な情勢だ。そうなる前に、ぜひ一度現地を訪れ、1970年代特撮作品ロケ地の空気を直に肌で感じていただきたいと思う。

←スタート地点の京王相模原線よみうりランド駅前から南山方面を望む

スタート地点の京王相模原線よみうりランド駅前から南山方面を望む。中央の桜樹の左に見えるのが妙覚寺本堂。その後方に連なっているのが1970年代特撮諸作品でもおなじみの南山である。

 

○妙覚寺

 
  臨済宗建長寺末の雲騰山妙覚寺(東京都稲城市矢野口2454)は、京王相模線よみうりランド駅西側に位置する寺院。もともと室町時代末期、川崎市菅にある寿福寺の隠居寺として開かれたとされる。開山陽雲僧正が永禄4(1561年)に示寂(他界)したため隆盛を失っていたところ、元禄13(1700)年、旗本領主・加藤太郎左衛門藤原甫成が宗派を創立、殿舍を修復したとされるが、寛政元(1789年)の火災で堂宇を失っている。現在の諸堂はそれ以降に再建されたもの。『仮面ライダー』第36話「生きかえったミイラ怪人エジプタス」では、エジプタスのアジトとして離れの御堂が使用されている。

 
妙覚寺入口の石碑

妙覚寺入口の石碑。石段を登る途中には枝ぶり見事な梅の樹がある

 
妙覚寺本堂。 江戸中期に建立されたもので、昭和初期には稀有な茅葺き建造物だった。庭の右にある石段を上がると鐘楼・墓地方面へ出る。また庭の左にある門を出て、坂を上がると「ありがた山石造物群」へ出る。
妙覚寺本堂
 
妙覚寺内離れの御堂
妙覚寺内離れの御堂。剛田博士を誘拐したエジプタスとショッカー戦闘員が、博士を拉致するアジトとして撮影に用いられた。
 

妙覚寺鐘楼。明治時代後期に建立されたもので、初代の梵鐘は昭和18 (1943)年に太平洋戦争のため供出されてしまった。梵鐘は檀家の人びとの手によってリヤカーで搬出されたという。

妙覚寺鐘楼
 
◯ありがた山石造物群

 
 妙覚寺南側の丘陵斜面にある、四千体を越すと思われる無縁仏群。一連の1970年代東映・円谷プロ作品の怪奇シーン撮影に重用された墓地として、あまりに有名だ。墓は関東大震災などにより本郷(文京区)付近に野積み・放置されていた無縁仏を、昭和14(1939)年から昭和16(1941)年にかけて、中山日徳道明師を中心とした“白雲山・日徳海”(慈善団体)の人たちが、リヤカーやオート三輪で運び、担ぎ上げたものだという。
 現在の墓地管理者に訊ねたところ、「我々の師匠が当時の妙覚寺ご住職に交渉し、斜面を開墾。昭和14(1939)年より当時の小石川区・駒込区などから墓石の運び込みを始め、昭和17〜18(1942〜1943)年頃に運び込みを終えました」とのこと。記録によれば、南武線の貨物で稲城長沼駅まで運ばれてきた石仏や墓石を荷車で丘陵地に運び上げる、人海戦術が駆使されたという。日本が軍国主義化し、既に国民に対し様々な規制が加えられていた時代に、4年間に四千体、単純計算でも1年間に千体もの墓石運搬が、若者たちの奉仕・慈善事業として行なわれたことを考えると、感慨深いものがある。石造物の内容は、墓石のほかに地蔵菩薩・五輪塔・観世音菩薩などであり、これらは地元・稲城市に係わりあるものではない。ただし墓地最上部から山道へ向かう途中にある仏舎利塔は、昭和29〜42(1954〜1967)年、無縁仏の供養のため日徳海により稲城市で建立されている。

 
妙覚寺墓地奥より南山を望む

妙覚寺墓地奥より南山を望む。『仮面ライダー』(新1号バージョン)オープニングで確認できる“サイクロン号で駆けるライダー”は、この南山の崖下で撮影されたと思われる。当時赤土が剥き出しだった土砂採掘現場も、現在はススキや笹が繁茂する広大な野原と化している。「ありがた山石造物群」は画面左の丘陵を登る途中、妙覚寺裏門を出た坂の上にある。

 
ありがた山石造物群。石ノ森章太郎先生原作の実写化作品群では、おおよそこの場所がオカルティックなシーンの撮影に用いられている。墓地は木製の階段が中央を通り、左右に約二千体ずつ、計およそ四千体の墓石・石仏が下界を望んでいる。
ありがた山石造物群

 
  欠損や劣化したものを除き、墓石に刻まれた年号は、目視判読できるものだけを取り出すかぎり、明治(1868〜1911年)から江戸寛永(1624〜1643年)と、およそ三百年の幅があるがことが判明。墓石にあった年号とその時代の主な歴史的事件を古い順に羅列すると、およそ以下のとおりになる。  
  寛永(1624〜1643年 朝鮮使節団が来日し江戸城で家光に謁見。島原の乱が起きる)、慶安(1648〜1951年 由井正雪らの倒幕陰謀が発覚。家綱、将軍宣下を受ける)、萬治(1658〜1660年 江戸隅田川に両国橋が完成)、寛文(1661〜1672年 武家諸法度が改正され殉死が禁じられる)、延宝(1673〜1680年 綱吉が将軍宣下を受ける)、元禄(1688〜1703年 赤穂浪士四十六士が吉良義央を討つ)、享保(1716〜1735年 吉宗が宗家を継ぐ)、元文(1736〜1740年 元禄服忌令の改訂)、寛保(1741〜1747年 寺社の勧進が制度化される)、明和(1764〜1771年 平賀源内が寒熱昇降器=タルモメイトルを作る)、安永(1772〜1780年 杉田玄白ら解体新書を著す)、天明(1781〜1788年 関東一円大洪水)、寛政(1789〜1800年 寛政蝦夷の乱が起きる)、享和(1801〜1803年 十返舍一九「東海道中膝栗毛」初編刊行)、文化(1804〜1817年 ロシア船が利尻島を襲撃し幕府船を焼く)、文政(1818〜1829年 伊能忠敬が「地図・実測録」を完成し幕府に献上)、天保(1830〜1843年 奥羽・関東大飢饉)、嘉永(1848〜1853年 アメリカ使節ペリーが軍艦で浦賀沖に来航)、安政(1854〜1859年 安政大地震。桜田門外の変)、文久(1861〜1863年 寺田屋騒動。生麦事件)、慶應(1865〜1867年 慶喜が征夷大将軍に。大政奉還)、明治(1868〜1911年 戊辰戦争勃発)…。  
  これら歴史的事件と同じ時代を生きた故人たちが、確かに存在したことを伝える墓石がある。その墓石に刻まれた故人たちの家紋や俗名・戒名・享年の一つひとつに、百〜三百年前に生を謳歌した人々の息吹を感じずにはいられなかった。およそ七十年前に、当時の小石川区・駒込区などからこの地に運ばれた石仏・墓石だが、現在進められている“南山東部土地区画整理事業”により、その“しとね”が移されようとしている。願わくば、石仏・墓石の新たな移転地も故人たちの魂にとって安息の地であるように…と祈らずにはいられない。

 
ありがた山石造物群の左斜面

ありがた山石造物群の左斜面。敷地内の墓石・石仏の配列には年号による規則性がない(ただし石仏のみを集めて配置している箇所が一部散見される)。

 

ありがた山石造物群の右斜面。中央の一部は雨風の侵食により地盤が脆弱になっているのか、ところどころ墓石の倒壊が見られる。最上部には特に石仏が集中している。『仮面ライダーストロンガー』第11話では、墓の中央を通る階段付近でも戦闘シーンが撮影されている。

ありがた山石造物群の右斜面
 
ありがた山の最上部

ありがた山の最上部。五輪塔周辺は平坦で火気の扱いも安全であるため、平素枯葉や献花の焼却はこのスペースで行なわれている。空間的な理由からか、この平坦なスペースでキャメラが回されることが多かったようだ。

 

 川崎市のよみうりゴルフ場方面から“ありがた山石造物群”へ向かう途中には、辛うじて自動車で通行可能な極めて細い山道がある。前述の墓地管理者によれば「当時の番組撮影隊は妙覚寺方面から人力で坂を登ってきたようです」との由。
重い撮影機材を抱え、急斜面を歩いて登ったであろう番組スタッフ・キャスト諸氏のご苦労が、今更ながら偲ばれる。
  『仮面ライダーストロンガー』第11話「決闘!ストロンガーの墓場!?」、同第33話「ストロンガー満月に死す!?」では、墓地の平坦箇所で奇械人とストロンガーの戦闘シーンや、狼長官らによる怪奇的セレモニーなどが撮影されている。また『ウルトラマンレオ』第50話「レオの命よ! キングの奇跡!」では、一般分譲の墓地と“ありがた山石造物群”との間にある僅かな平坦閑地に撮影スタッフが穴を掘り、「ウルトラマンキングの行なう奇跡により、レオが甦生し穴の中から飛び立つ」…というエキセントリックなシーンが撮影されている。現在ではなかなか許可されないであろう、墓地を掘っての撮影すら許容された1970年代は、万事において、おおらかな時代だったと言えるのかも知れない。  
 ほか、『仮面ライダーV3』第33話「V3危うし! 帰ってきたライダー1号、2号!!」、『仮面ライダーX』第20話「おばけ!? 謎の蛇人間あらわる!!」、『イナズマン』第11話「バラバンバラはイナズマンの母」、『ウルトラマンA』第29話「ウルトラ6番目の弟」などでも当該墓地がロケ地として使用されている。詳細については、劇中と同一アングル画像で映像を検証していらっしゃる特撮サイト「光跡」(管理人:Qちゃん様)をご覧いただきたい。

 

ありがた山最上部から稲城市街を望む。昭和14(1939)年頃に開墾された丘陵の上半分が小石川区・駒込区などから運び込まれた石仏・墓石のスペース、丘陵の下半分が日徳海の管理する一般分譲墓地スペースになっている。

ありがた山最上部から稲城市街を望む
 
百村の山道・仏舎利塔

←ありがた山最上部を右折すると、京王相模原線稲城駅方面へ向かう百村の山道に入る。山道の所々には無縁仏の供養のため、日徳海の人びとが建立した仏舎利塔がある。